『ユタ』について

3時間目まで華麗にスルー!
おはようございます、神田でQMAってから行きます。

ちょっと劇について。
演劇としての『ユタと不思議な仲間たち』は、ストーリー面でいえばたいして面白い話ではないと思います。物語の構造としてはユタの成長物語を核としているのでしょうが、ちょっと古臭いというかひねりがなさ過ぎます。事実原作は退屈極まりない残念な作品でした。
では見せ場は歌や踊り、ということになります。しかし私はミュージカルの類にさっぱり魅力を見出せない人間なので、はっきりいって面白くもなんともないなーと思っています。いかにすぐれたダンスだろうと、どうしても、「何で踊ってるの?」という醒めた視点で見てしまうことも原因だとは思います。

しかしそれでも最近、何度か通して練習を見るうち、『ユタ』は結構良い劇なのではないか、と思っていることも事実です。それはなぜなのか、と考えてみたのですが、それはおそらく、歌や踊りが「言葉」を越えて「伝わる」ようになってきたからではないか、と思います。
これは太田光(また太田の話か、と言わないように)がチェコの作家クンデラを援用しながら良く語ることですが、「仕草」(=動き)が「言葉」を越えることがあるのです。
人間は何もかもを「言葉」で理解し納得する生き物ですが、その「言葉」よりももっと奥の、言うなれば原始的な感性の部分に、歌や踊りが「届く」、ということです。
私は特に、物事を理屈に沿うか沿わないかで判断する人間なので、本当はミュージカルは一番嫌いな劇の形式なわけですが、それでも『ユタ』を見て「いい」と思うのは、そのせいだと思います。

そして実は、この「言葉を越えていくもの」というのが、この劇の大きな主題である、「生命の尊さ」と密接に結びついて、『ユタ』は成立しているのではないか、と思います。
「言葉」ではなく、歌や踊りに乗せて届けるからこそ、「生きているってすばらしい」ということが伝わるのです。人は何かに感動したときに生命の価値を感じるのだ、と思います。

以上、昨日話し合いの中で「『ユタ』の主題はなんだろう?」と言われたときにちょっと考えてみたことを書いてみました。反論はもちろん受け付けません。