少女まんがのコード論(「お約束」の力)

おとといブックオフに寄って(清水國明よりもヘビーユーザー)まんがを3冊買いました。
そのうち2冊は『ハチミツとクローバー』の1、2巻(最近メジャーな漫画をちょこちょこ読んでます)で、もう1冊は少女まんがの短編集。
少女まんが誌を読んだことがあればわかると思いますが、『花ゆめ』とか『少コミ』みたいな雑誌は、『ジャンプ』や『マガジン』に比べて読みきりの短編が非常に多いです。この差はたぶん、「少女まんが」と「少年まんが」の性質の違いによるものだと思いますが、「コンパクトな話」が好きな私としては、少女まんがの短編集はとても好きなジャンルのひとつです。

短編少女まんがは、その99%が「恋愛の成就」を題材としています。最近の傾向としては、はじめは別の好きな人(人気のある先輩ないし同級生がほとんど)がいるんだけど、別の男性(極度の変人or小学生が多い。必ず美形)にだんだん惹かれていく、というパターンが大勢を占めているように思います*1
この「コード」(お約束)を踏まえているため、短編少女まんがは「安心して読めるけど、誰が描いても同じ」作品になりがちです。しかし、「結末がすでに決定されている」物語にいかにひねりを加えるか、というところに作家性を感じ取れるところが、少女まんがを読む楽しみでもあります。
18禁ゲームや成年向けまんがが、「大人向け」という条件さえ満たせば何をやっても良い、という自由度の高さゆえに多くの傑作を生んでいるのと同様、少女まんがもコードさえ踏まえれば何をやっても良い、という逆説的な自由があります。そこでいかに「暴れるか」が、作品の良し悪しを決定します。

私が最近読んだ短編集は、車谷晴子の『悪党男子コレクション』と深海魚(ふかみさかな、と読んでくださいね)の『イラ×イラ』『恋愛法度』の3冊ですが*2、前者と後者では作品の方向性がまったく違います。
『悪党男子コレクション』に収録されている短編は、「悪党」「メガネ」「年下(12歳)」といった非常に「わかりやすい」記号を採用した、「わかりやすい」作品です。唯一、「主人公が怪力」という「無茶」をしている点が作家性を感じさせますが、しかし、「彼氏」の言動に一貫性がないなどストーリーが破綻していることもあって、それほど面白い作品にはなりえていません。

対して深海魚の作品が優れているのは、「わかりやすい」記号を排除して、「無茶」ばかりしている点にあります。
たとえば『イラ×イラ』に収録された「コズミック☆ガール」では、主人公・エナが学校帰りに彼氏の家に寄り、「いい感じ」になったところで突然、エナの身体が異常な高熱を発しはじめ、「成人するまでは異性と関係を持とうとすると対異性拒絶反応を起こし発熱するパッピパピ星人」であることが明かされます。でもこの短編は、「少女まんが」の常識の枠外を行っているように見えて、実はしっかりコードを踏まえているがゆえに、作品としてきっちり成立しているのです。これがコードの力です。めちゃくちゃなストーリー展開を作品として成立せしめるのが、「お約束」なのです。だから少女まんがはもっと「冒険」をするべきなのですが、そういう作品はごく少数です。これではジャンルとして衰退していくのも仕方がないでしょう。

少女まんがはいま、『NANA』以降、『ハチクロ』『ラブコン』『僕は妹に恋をする』『僕等がいた』『ハツカレ』など、一部作品が一気にメディアミックスの対象となり、再び注目を集めつつありますが、これらの作品は(ほとんどは未読ですがたぶん)、多くのページを割いて恋愛の機微を表現することに成功したものです。それに対して短編の読みきり作品は、そのように恋愛の細部を描き込むことが困難である代わりに、「お約束」の上で自由に遊ぶことができる、という点で、優れているように思われます。この可能性を少女まんが誌の片隅に押しとどめておくのは、少しもったいないことのように思います。

なのでいつか読まなきゃなーと思いつつ、「売れてる」まんがを横目に名前も知らない新人作家の短編集を買いあさる日々なのでした。

恋愛法度 (フラワーコミックス)

恋愛法度 (フラワーコミックス)

*1:冒頭からカップルが成立していて、ふたりがいろんな困難を乗り越えてハッピーエンド、という展開も多いです

*2:私は本を「背表紙」で選ぶ傾向があるので、どの本も同じデザインの講談社とか白泉社とかはなかなか手に取りにくいのです