メリー

さんのひつじを「メリーさんのこやぎ」と訳していたことがあったらしいですね。確か原曲では「little lamb」という歌詞だったのを、「こひつじ」と訳すと語呂が悪いから「こやぎ」と訳したのかな?「little」を生かすか「lamb」を生かすか、の問題です。

とまあ、前置きはさておいて。野依良治(教育再生会議座長)が塾廃止を訴えているという話ですが、まあおおむね賛成です。ただし塾廃止を訴えるということは、今の日本がそれなりに強固な学歴社会である、ということを前提とすると思うのですが、それはOKなんでしょうかね?筒井康隆が「廃塾令」という小説を書いてますが、喫煙者がものすごい弾圧を受ける「最後の喫煙者」や、無名の人物をマスコミが追いかける恐怖を描いた「おれに関する噂」など、筒井康隆の小説は何十年も後の状況を示唆していて、ああこの人は天才だ天才だと思わされます。

今日はかえりに白金高輪の古本屋により、「SIGHT」の2006年秋号と「新潮」の12月号を購入。
SIGHT (サイト) 2006年 10月号 [雑誌]「SIGHT」は特集が「格差正当化社会と闘う」で、佐藤俊樹重松清が出ている模様。この雑誌は基本的に論壇誌なんですけど、連載陣がすごいです。吉本隆明とか東浩紀とか高橋源一郎とか斉藤美奈子とかいがらしみきお(笑)とか北野武(笑)とか。なぜか表紙には名前がクレジットされてませんけど勝谷誠彦もサザンの話を連載してます。



新潮 2006年 12月号 [雑誌]「新潮」の12月号はラインナップが非常に私にあっている、というか、好きな作家がたくさんいてうれしいかぎり。とりあえず佐藤友哉の長編「1000の小説とバックベアード」を読むつもりで買ったのに、車谷長吉中原昌也保坂和志が。磯崎新の評論もたぶん読みます。斉藤環の文芸評論はちらっと見たところ「あらすじ」の時点であまりにも難しいのでたぶん読みません。

ここへ岡崎乾二郎による「グラッソ物語」(『プルネッレスキ伝』所収)の「射影変換」による分析が導入される。対称性における非対称性を認識する超越的統覚こそ、自己同一性の唯一の根拠であるとする岡崎の議論は、関係性における「空間」の地位を決定的なものにする。*1

わかりますか?私はあと何千冊本を読めばこの文章が読めるようになるんでしょうか?せっかく現代文の授業という時間をとるならこういう文章を読めるように訓練してほしいと思うのですが。
え?別に読めなくてもいい?

>私の彼*2
もし見てたら、明日実況中継返して頂きたい。世界史の用語集あげるから。

*1:斉藤環「関係の科学としての文学」

*2:左利き、という意味です。念のため