原発銀座

小学校で学んだ一番のことは、「道端に鍵盤ハーモニカを置かない」ことです。おはようございます。そりゃ3回も路上に置きっぱなしにしたら怒られるわな。
今日はフランス語の授業があるのですがQMAの大会に出るために謹んで辞退させていただくことにします。

と、いうわけで一通り授業を受けてみたわけですが、どうも30人ほどの英語のクラスがそのまま学級という扱いになるようで、これが私にとっては大変やりにくい事態なのです。なんとこのクラスの男性は、みんなとても「大学生っぽい」のです。まあもともと20歳の人がそれっぽいのは当たり前なのですが、同い年の人もまことに「大学生っぽい」のですね。
たぶん早くも「大学生っぽい」人たちは、高校生のときは「高校生っぽい」人だったのだと思います。これは女性に顕著なのですが、「大学生らしい大学生」と「高校生らしい高校生」の像は(世間通念として)かなりずれています。ですがたぶん彼、彼女たちは、高校生のときから大学生みたいではなかったのではないかと思うのです。その都度ちゃんと(人によっては自覚的に)「それらしい」態度を身につけ、「それっぽさ」を体得しているのですね。

別にそれはそれで何の問題もないのですが、まずいのは2007年現在の「大学生っぽい大学生」と私では立ち居振る舞いがあまりに違いすぎる、ということです。今の「大学生っぽい大学生」は、「今どきの若者っぽい言葉づかい」で、「今どきの大学生らしいノリ」でコミュニケーションをとるわけですが、これがもう生理的に気持ちが悪いのです。彼らの振る舞いを私は勝手に「オリラジ的」*1と名づけているのですが、私は「オリラジ的」な人とはなるべくかかわりたくないわけです。
「オリラジ的」な人は、中国語を「チャイ語」、フランス語を「フラ語」と略すようですが、この語感がもう個人的にアウトです。(本当は「キモい」とか「ウザい」とか「ハブる」とかも完全にアウトですが、最近はこの辺の単語を使わない人のほうが少ないので、これについてはあきらめてます)。公共の場で躊躇なく飲酒の話をするのもアウトです。挨拶が「うぃーっす」みたいなのもアウトです。あと、「クラコン」という言葉を連呼する人が何人かいるので何事かと思ったらこれはどうも調べてみると「クラスコンパ」という意味合いらしく、これももちろんアウトです。こういう軽佻浮薄な輩はどこにでもいるので避けて生きればそれでいいのですが、先に述べたとおりクラスのほとんどが「アウト」なわけです。四面楚歌です。
今後の方針としては、「じっと息を潜めて1年間過ごす」とか、「ぎりぎり「セーフ」な人を探す」とか色々あるわけですけれども、とりあえずあらゆる共同体に参与するときにこれまで取ってきた手法、つまり数限られた発言機会に最大限集中して面白いことを言う(ことを試みる)、というやり方でしばらく様子を見てみたいと思います。

*1:「オリラジ」という言葉づかいがすでに「オリラジ的」です