久しぶりに

ちゃんと活字の本を読みましたよ。この前読んだのが4月18日の『死神の精度』ですから、大体15日に1冊のペースでしょうか。えーっと、君は何のサークルに入ってるんだっけ?学部は何かな?
と、いうわけで、本当は私は新書読みなんですけど、勉強もかねて家に溜まってる推理小説を読んでおりまして。昨日は法月綸太郎の『生首に聞いてみろ』という本を読みおえたのですが、前評判どおりのなかなか面白い作品でございました。小説としてまずちゃんとしてるなー、というのが第一の印象です。ものすごく周到に張り巡らされた伏線と罠がラストで一気に解消されるのはさすがだな、という感じですが、作品の真価はむしろ作者が言外に示したテーマにあるのではないかと。この作品は(ミステリはほとんどそうですけど)芥川龍之介の『藪の中』に通底する、「立場によって同じ事件の見え方が異なる」という現象を大きなキーポイントにしており、個人の視点の丁寧な書き方が本作を傑作たらしめています。貫井徳郎の『プリズム』も同種のテーマを抱えた名作ですが、『生首〜』がそれよりも決定的に優れているのは、その巧みな構成ゆえです。
冒頭、物語はある写真家の展覧会を舞台に幕を開けます(もちろん、このシーンからすでに、結末へ向けた伏線が隠されています)。展示された写真たちは「どの人物も判で押したように目をつぶって」います。そして個展のタイトルは「ブラインド・フェイス」。所詮人々は事実に対して盲目でしかない――そういった含意がここからはみてとれます。そしてこの個展は、後に起こる悲劇を誰も予見できなかった――誰もが“ブラインド・フェイス”だった――ということを先取りして予告しているのです。

しかし、ここで描かれているのは絶望ではありません。探偵はいくつもの過ちを経て、自らの予断を周到に退け、事件の真相に到る――物語は、人間が“ブラインド・フェイス”を克服できる、という希望を刻んで幕を閉じます。ある種構造主義的なこの知見こそが、「生首」が沈黙のうちに我々に語りかけているメッセージだったのです。たぶん。