学問ランダム肆

今年一年お世話になりました、ほむらです。今年最後の更新です。

少し長文になりますが、お暇な方はお付き合いいただけると恐縮です。



あらすじ

 遥か昔、地上は瘴気に覆われていました。この瘴気は知識を高める意志を無くしていった人々が本来持っていた己の知識と虚無的な感情を、魔力で発生させたものだったのです。それがこの世界で「恋空」と呼ばれるモノの正体でした。

 そしてこの瘴気は、東方より現れた賢者たちによって一度は駆逐されたものの、その後もなお地上では発生を続けているのです。それに対抗する賢者を育成するため設立されたのが、南流山ガスターなのです。

と言うわけで、172日ぶりの「恋空バトン」です。



弁明

10人もの勇敢な読書家の手を渡り、私の手にたどり着いた『恋空』。正直いつ受け取ったものか正確な記憶がなく、キルリアン先生のブログを読み返してみたことろ、7月はじめ頃には既にお借りしていた模様です。今日は12月31日。雑○×を引くまでもなく、一年は下半期の方が長いわけですが、その間じゅう、私は『恋空』上下巻を手元に置きっぱなしにしていたようです。どうも体調が優れないと思っていましたがおそらくこれのせいでしょう。
いやほんとごめんなさい。申し訳ないです。


いつの間にか文庫版まで出てしまいました。「ドラマ版の低視聴率と連動するように売れ行きは不調」というような記事を読んだ気もしますが、きっと何かの勘違いでしょう。これほどの歴史的名著が売れないなんてことあるはずがありません。
大企業のお偉いさんが好んで読む作家といえば、司馬遼太郎藤沢周平、そして美嘉、というのが社会の常識です(雑多で出ます)。今でも全国の本屋さんで平積みされているに違いありません。というか恋空置いてない本屋は「本屋」とは認められないので、「全国すべての本屋さんに置いてある」と言ってもいいのではないでしょうか。


感想

『恋空』本編は7月中には読み終えていたはずです。


なんでまた半年もバトンを止めっぱなしにしてしまったのか、というと、これがまた大変言いにくいのですが、



結構ふつうに面白かった



んです。



歌人穂村弘さんからカードネームをお借りし、「学問その他(文学・芸術)」を武器にしているプレイヤーとしてはこんなことを書くのはまずいんじゃないか、ともすれば今後流山に行くたびに白眼視され、「あんなやつが紫宝賢者なわけがない」「偽装乙」「紫宝(てんせい)賢者さんこんばんわ!」などと罵倒されるに違いない、という自己保身のため、素直な感想を書くとまずい、なんか適当に批判してお茶を濁そう、なんて思っているうちに半年経ってしまったのです。


いや、確かに作中はひどい矛盾があったり、心情の描写が驚くほど薄っぺらだったり、どう考えても実話をもとにしていなかったり、と批判する要素は山盛りですが、それでもそれなりに主人公に感情移入できてしまいました。後半の病気がどーたらという話はさすがに入り込めませんでしたが、それを除けば結構に読めてしまったのです。皮肉とか裏読みとかネタではなく。


なんでこんなことになってしまったのだろう、いつから僕の脳髄はスイーツ化してしまったのだろう、と考えてみたんですが、よく考えると今の「少女コミック」とかでやってる漫画って結構こんなもんだったりするんですよね。
新條まゆとかちょうど同じくらいのレベルだと思います。全般的に、ヒロインが別の男に乱暴されそうになる→彼が助けに来る→ボコボコにする→彼とらぶらぶ、という筋の話が物凄く多いです。こればっかりです。
もちろんそんな作品ばかりではないのですが、だいたいはこんな感じです。ベッドシーンはないほうが少ないくらい。

そんな漫画ばっかり読んできてしまった結果、『恋空』を読んでも、『快感フレーズ』を読むくらいには楽しめてしまったわけです。話が破綻していることは問題ではなく、適当なドラマといちゃいちゃするシーンがあればそれなりに満足してしまうんですよね。これがゆとり世代の感性だよ!



結論:ほむらは文盲



反省としてうちにある文学全集とか読もうと思います。久しぶりに三島とか読もう。